Fukushimaで今起きていること

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      Earth Spiral主宰 安珠

 

20113111446分、まさに今年の森林療法についての取り組みを地元の方と話している最中に東日本大震災が起きた。裏磐梯も今まで経験したことが無いぐらいの揺れだった。幸い人的被害も物的被害もなくライフラインが止まることもなかった。生活道路が寸断されたことと、ガソリンや物資不足のため家に篭る事になった。裏磐梯はまだ雪の中。一冬分の食糧と薪は蓄えがあったので、暫くの篭城生活に全く支障はなかった。

 

しかし、福島県は地震と津波の凄まじさに驚嘆する間もなく、東京電力の福島原発事故が起きた。政府やマスメディアから信頼できる情報が得られない中、ツイッターなどネットメディアにより、多くの情報を得ることが出来た。

 

原発から北西方面には飯舘村、そして福島市がある。福島市は原発より約60キロで私の実家があり弟夫婦や母が住んでいる場所だ。地震の後、数日間は自分の事よりも福島市から家族を避難させるべきかを判断するための情報収集に明け暮れた。安全という政府や東電、危険性を伝えるネットメディア、そこから客観的な情報を集める事は非常に困難だった。直感的に福島市からは避難させたほうがいいと思い、315日には家族を裏磐梯と山形に避難させた。

 

県外の友人の中には裏磐梯からも避難する事を提案してくれる人もいた。結果的に裏磐梯は原発から約95キロ。吾妻連峰が立ちはだかるためか、汚染度はそれほど高いものとはならなかった。

 

後から情報を見て分かったが、315日の午後から福島市の線量は一気に上昇し20μsvを超えていた。3月中は余震も続き、ガソリン不足のため動く事も出来なかったので、ひたすら原発と放射能の情報を集め続けたが、放射能による被害が徐々に明らかになって行き、避難区域も原発周辺30キロ圏内までに広がり、原発45キロの飯舘村、郡山市や福島市の放射線量が高いことが分かってきた。

◆裏磐梯での被災者支援

福島県は横に広い県で、天気予報は海に面した浜通り地方、中通り地方、会津地方の3つに分かれる。震災直後に津波と原発の被害にあった浜通りの人たちは、中通りの施設に数多く避難した。裏磐梯では宿泊施設が被災者の受け入れを始め、4月ぐらいから各ペンションやホテルに浜通りの浪江町と大熊町の人たちが滞在するようになった。仮設住宅が出来る7月末ぐらいまでの期間、ここに滞在することになる。

 

皆さんが裏磐梯に来た頃は、まだ雪もある時期。外を散歩していると浪江町の方々に出会う。挨拶をすると話しかけられるので、世間話をする。同じ浪江町でも浜と内陸では状況が違う。浜に近い人たちは家も流された。家族を失った人もいるだろう。「全部流されちまった。漁港があって魚もたくさん採れたのに、原発のせいで何もかもパーだ」という。内陸に家がある人たちは「泥棒が入ってるとニュースで聞くから心配だ」という。最初は私達にどんな支援ができるのか、押し付けにならないように、まずは話を聞くことから始めた。

 

5月に入ると裏磐梯観光協会が主導で「被災者支援企画」の募集を始めた。ゴールデンウィークぐらいから様々な企画が並べられた。お花見、バードウォッチング、お掃除ボランティア、カゴや草履づくり、卓球やバドミントン、大正琴などの企画が出てきた。私は森歩きとマッサージを提供した。東京から友人がヒーリングのボランティアチームを連れて来た時もあった。慣れない場所への戸惑いがあるが、部屋に篭っていても余計なことを考えてしまうので、いろいろなイベントがあって外出できるのは、良い気分転換になったようだ。5月の半ばには、地域の人たちで被災者向けに音楽を中心としてたイベントも行った。そこで私はマッサージブースを出し、短時間で着衣で行うボディワークを提供した。休むまもなく希望者が現れ好評だった。

 

今、原稿を書いている6月時点では、裏磐梯での暮らしにも慣れてきて、現実的に先のことを考える段階にあるようだ。しかし、まだ、国や東京電力からの補償も決まらず、順次、原発付近の家に一時帰宅する予定もあったり、仮設住宅もいつの移動になるかも流動的な状態が続いている。そんな中、農作業を希望する人たちがいるという話を聞き、地元の有志で休耕地を借りて被災者の方とマッチングすることも始めてみた。

 

プロの農家の方もいれば、家庭菜園をやっていたという方もいる。みなさん一様に、仮設に移動の時期が分からないので収穫までこぎつけられるかも分からないが、身体を動かしたり土いじりができたらという。そして、収穫物はお世話になった地元の人に食べてもらえればという方もいる。避難者の皆さんは「自分達は犠牲者で施してもらう側」というのではなく自分達も何かできる事が無いかという思いがあり、滞在先のペンションの仕事を積極的に手伝う姿も見られる。

 

 裏磐梯が位置する北塩原村は約3000人の村。そこに1000人近くの人たちが避難してきた。一時的に新しい住民が増えたという感覚。初期段階では特別な癒しプログラムを設けるよりは、住民同士のコミュニケーションが円滑になるような仕掛けをし、この場に慣れて安心感を持ってもらうことが重要と感じた。うちの隣にも浪江町の避難者が3世帯入っているが、外で立ち話をするだけでも「地元の人と話が出来てよかった」と言っていた。被災から3ヶ月経とうとしている今は、おそらく将来への不安や疲れが新たに出てくる時期なので、気軽にマッサージの施術が受けられる場をつくる予定だ。突然の津波と原発事故により暮らしが破壊されてしまった悲しみは計り知れないが、刻々と変化する被災者の方達の状況に寄り添いながら、できる事を提供していきたいと思っている。

◆子供の健康と放射能問題

4月のはじめには福島県内の学校は放射能汚染の調査もなく新学期がスタートした。子供たちへの影響を心配した父兄たちが独自で放射能測定を始め、側溝に100μsv/hを越える場所が見つかるなど、非常に高い線量が点在していることが明らかになった。

 

それから、文部科学省や県が全校調査を行ない年間20msv以下であれば、普通に学校活動を行って問題ないという見解を示した。しかし、チェルノブイリ事故では年間5msv以上の地域は居住禁止区域であり、日本でも3ヶ月で1.3msvを越える地域は放射線管理区域であることは法律で定められている。医学的知見では、放射能の影響は年間100msv以上にならなければ確定的な症状が現れないという理由で、国は子供たちが通う学校の安全基準を年間20msvと決めた。それに対して国内外から「高すぎるのでは」という疑問の声が上がっているが、国の決定が子供たちの避難を進めることが出来ない状況を作り上げている。

 

放射能の影響は、「癌になる確率」で安全か危険かという話ばかり流布しているが、癌のみならず様々な症状や疾患が現れているという報告もある。また、花粉症やアトピーなどの増加も1986年のチェルノブイリ事故により日本に飛散してきた放射能の影響があるのではという話もある。グレーゾーンであれば、予防原則的に国民の健康を重視して対応策をとるべきが、多くの住民を移住させることに対する経済的・社会的事情を考慮した政治的判断で安全基準が設定されている。そして、住民を安心させるために被曝医療の専門家やマスメディアなどを使って、今の放射線量の安全性を県民に流している。

 

放射能の影響は、細胞分裂の盛んな子供たちに一番影響が出るもの。危機管理が出来ない無能な政府や自治体に業を煮やした父兄達は、今、子供たちだけでも安全な場所に避難させたいという思いで安全基準20msvの撤回を要請し、校庭や生活場所を除染することを求めて闘っている。しかし、政府が安心プロパガンダを展開しているために、政府を信じる人たちと、独自の情報により放射能の危険性を訴える人たちの間での断絶が起こり、地域コミュニティや家族の関係性の崩壊に繋がるという事態も起きている。

 

裏磐梯に住む自分ができる事としては、子供たちが危険に晒されている福島市や郡山市といった中通りの人たちに対するサポートとして、ツイッターやブログなどで広く状況を知ってもらうことや、子供を守る活動をしている父兄達のグループのために寄付金を集めることなどで協力している。また、福島の状況を知りたい、何か自分に出来る事を考えたいという方達と震災後に感じていることをシェアする対話の場を設けている。そうした場を設ける時には自然の中を歩き、裏磐梯の自然とチューニングし、日常生活の意識から解放する時間を持つことは、参加者同士の深い対話を促す良い準備の時間となる。

◆311以降の世界をどう生きるか?~これからの取り組み

 裏磐梯は線量がそれほど高くない地域だが、チェルノブイリと比較すればおそらく任意移住区域に入る。一時的な訪問は問題ないとしても、居住するということは空間の放射線からの外部被曝、そして呼吸や食物からの内部被曝を継続的に受けることになり、何らかの防護策を講じる必要があるレベルと考えている。

 

 だから、自分達のためには、免疫力や排泄力を高めるための方法や土壌等の除染方法などの情報を集めながら、出来るだけ環境も身体も浄化していく事を心がける必要がある。そこで、自分達のためにも、福島県の汚染地帯に居住しなければいけない人たちのためにも、心と体、そして魂レベルのケアなどの取り組みや、現実的な浄化や除染方法の勉強会や情報発信が出来ればと考えている。

 

震災後1ヶ月余りの422日に、宮城県の名取市に行く機会があり、津波の後の凄まじい現場を見た。しかし、そこに生きる人々は、次に向けて動き出そうという気力を感じ、原発事故が現在進行形で、どこに進んでいくべきかを見出せない福島とのギャップ、そして、福島が取り残されている感覚を強く感じた。原子力や化石燃料に頼らない持続可能な暮らしに移行するための取り組みは、震災以前から行っているが、原発事故により多くの福島県民が希望を失いつつある今、この経験を超えて、いかなる未来を創っていくのかを考え、希望を見出す必要性を感じた。そこで5月から「持続可能な福島の未来を考える」対話の場を定期的にスタートした。

 

自然界の恵みがなければ生きられない人間が、利権や経済のために、その命の源である自然を自ら汚染し続けている。今、人間は地球上でいかに生きるべきなのか?そして生きる価値があるのかが問われていると思う。コンクリートやアスファルトに閉ざされた場所を出て、森の中で自然の声や自分の内側の声を聞く時間を持つことが、癒しと生きるエネルギーを与えてくれると同時に、地球に生きる人間としての意識を取り戻す一助になるのではないかと考える。

「トランジションうつくしま合宿~311以降をどう生きるか」を定期開催。

福島の現状を知り、自分の生き方を考えたい方、福島の復興をサポートしたい方などご参加ください。

詳細はhttp://www.earthspiral.jp

このブログ記事について

このページは、事務局が2011年7月18日 01:32に書いたブログ記事です。

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